2009年4月30日木曜日

4/30 Today 永井荷風が孤独死(1959)

永井荷風 - Wikipedia: "永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家である。耽美的な作風で明治から昭和にかけて活躍した。本名は永井 壯吉(ながい そうきち)。号は断腸亭主人、金阜山人。"


市川のわびしい一人住まいでの孤独死だった。死んでいるのを朝出勤したお手伝いさんが発見する。前日の日記は「4月29日、祭日、陰」とのみ記載。大正7年以来41年間書き続けてきた日記『断腸亭日乗』はこれでおしまいとなった。今年は荷風没後50年に当たる。

荷風の評価はいまだにさまざま。軽蔑(もしくは敵視)する人もまだ多い。一方で熱烈な荷風ファンも数多く存在する。最近は爺さんばかりでなく女性の荷風ファンも増えた。高齢化社会を迎え荷風は「おひとりさま」に再評価されているようだ。

先日 Japan Times はアメリカの荷風研究者の論文を掲載していた。今なお荷風は新しいのである。現代日本を考える場合でも「荷風的視点」に立てばよく見えてくるところも多い。なんと言ってもあの生き方がいい。サイデンステッカーが言うように、多くの人々にとって「荷風はもっとも偉大な作家ではなかったかも知れないが、一番好きな作家」なのである。

Nagai Kafu: a literary loner | The Japan Times Online: "Ever an outsider, the novelist was out of step and out of time as Japan embraced modernity

By MICHAEL HOFFMAN
Special to The Japan Times"

There's not much left of Kafu today. Among the major Japanese writers of the early 20th century, he scarcely ranks as a survivor. Natsume Soseki, Ryunosuke Akutagawa, Junichiro Tanizaki are the towering names of the period. Kafu, relatively speaking, is a footnote.

Even his biographer and principal English translator, Edward Seidensticker (whose translations from "Kafu the Scribbler" are used here except where otherwise specified), had serious reservations about Kafu. Dubbing him (in his 2002 memoir "Tokyo Central") "the writer of whom I was probably fondest," he hastens to add that "affection and admiration are not the same thing.

His praise is barbed: "Though he was not such a good novelist, he has come to seem better and better at what he was good at." What he was good at was evoking the moods and textures of a Tokyo changing, he thought, much too fast and altogether in the wrong direction."



2009年4月24日金曜日

しばらく安良里に行きます

安良里とは西伊豆の小さな漁港。行ってるあいだは別ブログ「Letter from Arari Port」の方に書き込みます。iPhone による送信となります。

どんなところかはここ。安良里マリーナ全景(写ってる船はおいらのじゃない)。漁協が管理する港(第2種漁港)で、係留艇は漁協お墨付きの登録旗をもらえる。これでおいらも立派な「インサイダー」。

2009年4月23日木曜日

4/23 Today シェイクスピアが死ぬ(1616)

ウィリアム・シェイクスピア - Wikipedia: "ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、沙翁(沙吉比亜からの異称)、(洗礼日1564年4月26日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))は、イギリス(イングランド)の劇作家、詩人。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの生れ。エリザベス朝演劇の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家とも言われている。その卓越した人間観察眼と内面の心理描写は、後の哲学や、19~20世紀の心理学・精神分析学を先取りしたものともなっている。"
合掌。

お墓にはこう書いてある(シェイクスピア自ら書いた碑文だという):

Good friend, for Jesus' sake forbear,
To dig the dust enclosed here.
Blest be the man that spares these stones,
And cursed be he that moves my bones.


「墓を暴くものには呪いあれ」などとは「大文豪」にしてはさもしい言葉だとする批判もあるが、「静かにそっとしておいてくれ」とぐらいの意味で結構だと思う。きれいな韻である。

それにしても、現代日本語詩は韻を踏まないことになっているのは寂しい。言葉の韻を無視するようになってからニッポン人は話し方が下手になった。

2009年4月22日水曜日

4/22 Today リチャード・ニクソンが死ぬ(1994)

リチャード・ニクソン - Wikipedia: "リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 - 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の第36代副大統領および第37代大統領。
対外的にはベトナム戦争の終結や中華人民共和国との国交成立など平和主義に尽力したが、ウォーターゲート事件により第二次世界大戦後の大統領で最低の不支持率を記録し、任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領となる。"
フルシチョフに「僕らにはロケットはないけれど台所は立派だよ」と言ってやっつけようとした。あまり迫力はなかった。いま将軍様に同じことをいっても同じだろう。

ともあれ1960年のケネディーとのテレビ討論は、おいらもテレビ中継で見た。歴史に立ち会ったのだ。どうだ、スゴイダロー。亀の甲より年の功だ。

2009年4月21日火曜日

4/21 Today マーク・トウェインが死ぬ(1910)

マーク・トウェイン - Wikipedia: "マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日 - 1910年4月21日)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)。当時最も人気のある著名人であった。ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。

6人兄弟の5番目として1835年11月30日に生まれた。この年ハレー彗星が観測されたが、トウェインは後年『自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去っていくだろう』と周囲の人間に吹聴していた。

死去した年、75年ぶりにハレー彗星が地球に到来。本人が予見した通り、ハレー彗星と共にこの世を去っていった。"

なんともカッコいい。

なんか懐かしい。読みたくなった:



2009年4月20日月曜日

4/20 Today 内田百閒が死ぬ(1971)

内田百閒 - Wikipedia: "内田 百間(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家である。男性。戦後は筆名を内田百閒と改めた(閒は門構えに月、U 9592)。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。本名は内田栄造。

文学上の師匠に当たる夏目漱石や、琴、酒、煙草、小鳥、鉄道、猫、郷里の銘菓大手饅頭などを愛し、それぞれについて多くの著作が残されている。

鉄道に関しては、「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅行を実行した鉄道紀行『阿房列車』シリーズなどがある。"
まるでアホだが憎めない人。

汽車に乗るのがただひたすらに好きだった。物事に熱中するのに、それ以外の理由なんかいらないのである。「スキダカラスキ、イヤダカライヤ」。それでいいではないか。

2009年4月19日日曜日

4/19 Today ピエール・キュリーが交通事故死(1906)

ピエール・キュリー - Wikipedia:
"ピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859年5月15日 - 1906年4月19日)は、フランスの物理学者。妻はマリ・キュリー、旧名マリア・スクウォドフスカである。1903年に妻と共にノーベル物理学賞を受賞した。1906年の雨の日、交通事故で死去(道で馬車に撥ねられ、辻馬車と荷馬車に挟まれた)。

なお、彼の肖像は妻のマリと共に最後のフランスフランの500フラン紙幣に見ることができる。"

当時のヨーロッパの都会では馬車による人身事故が多発。「即興詩人」の主人公のお母さんも馬車にはねられて死んでしまった。こういう危険なものは禁止するべきという意見もあったようだが、便利なものをなくすわけには行かない。「モダス・ヴィヴァンディ(Modus vivendi)」が探られてゆく。

その後馬車は自動車に取って代わられる。これは正解だった。ウマは働かなくてもエサが必要。膨大な牧草を食い尽くす。森林は伐採されて牧草地にされた。また燃料としての森林伐採もあった。石油を使う方が遙かに地球環境によかったのである。いま石油燃料を敵視するのがエコロだとか言う風潮があるが、石油が安い以上石油を使うのが合理的で地球に優しい。

2009年4月18日土曜日

神保町の「荷風展」大盛況!

久しぶりに神保町。荷風展を見るため。女性が一人で企画した展示会だけでどんなものになるか心配だったが、内容が素晴らしく大感激:
asahi.com:荷風の魅力 凝縮-マイタウン東京: "◆没後50年、18日まで神田で企画展

 同じ東京生まれの漱石や芥川でもこんな企画展にはならないだろう。神田で現在開かれている「永井荷風展」を訪ねると、そんな気になる。浅草のストリッパーに囲まれ、ご満悦の荷風の写真や、本人を模した人形や作品を再現したジオラマまで、まさに東京下町を愛した荷風ワールド。遊び心が垣間見える。没後50年。現代人の心をとらえて離さない荷風の魅力を探った。
(小泉信一)

 「荷風って、好色な作家という風に見ている人もいるけれど大間違い。生涯にわたって心の自由、表現の自由を追求した人です」
 
 そう語るのは企画展を呼びかけた松本彩子さん(38)。麻布のお屋敷で読書にいそしんだり、ガーデニングで自然に触れたりと独り暮らしを満喫していた荷風のライフスタイルにひかれるという。

 松本さんは神田神保町でバーを営んでいる。店にくる作家や記者、出版業界の人たちに「荷風展を開きたい」と相談したところ、実行委員会が発足。約80点の初版本や直筆の原稿、掛け軸など貴重なコレクションが集まった。"

本日は最終日とあって、持田叙子氏などの座談会もありとても充実していた(ぎりぎりの時間に行ったので整理券の番号は99番、おいらが最後だった)。展示の内容も石塚公昭氏などの人形・ジオラマなんかがあって大満足。それより驚いたのは混雑ぶり。いまだに荷風の人気はすごい。それ以上に松本さんを盛り上げようとする「実行委員会」の意気と実力がうかがえる。

ニッポンもまだまだ捨てたものではない。

持田叙子氏の最新作もまた荷風について。本日発売。アマゾンにはまだ入っていないようだが、東京堂書店で買える:



4/18 Today 山本五十六戦死(1943)

山本五十六 - Wikipedia: "山本 五十六(やまもと いそろく、明治17年(1884年)4月4日 - 昭和18年(1943年)4月18日)は、大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。

真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦を指揮した。"
真珠湾攻撃では成功したが、ミッドウェイでは負けてしまった。

山本五十六は賭博が大好きだったらしい:
山本は博打が好きで、腕前もかなりのもので、特にポーカーやブリッジに強かった。山本曰く「博打は一ドルなら一ドル出して自分の言葉に責任をもつこと」「博打をしないような男はろくな者じゃない」。ちなみに山本は「予備役になったらモナコに住み、ルーレットで世界の閑人の金を巻き上げてやる」と語ったと伝えられるが、そのモナコではカジノ協会から出入り禁止令を受けている[16]。真珠湾攻撃を投機的と心配した昭和天皇に対して永野修身が「山本は博打につようございますから」と釈明したという。山本の博打好きは、山本の親友であった今村均によっても戦後、証言されている。毎週末に山本、今村、安達二十三らのどれかの家でポーカーが開かれていたと今村は語っている。

ミッドウェイでも:
昭和17年6月、戦略目的の不明確なミッドウェー作戦を強行し、空母4隻とその全艦載機を喪失するという大敗北を喫した。その敗因には、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の空母4隻に、霧島、榛名の戦艦2隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻の貧弱な護衛艦しかない南雲機動部隊、その540kmも後方に、大和、長門、陸奥の戦艦3隻、鳳翔の空母1隻、水母、軽巡各1隻、駆逐艦22隻の主隊、および伊勢、日向、扶桑、山城の戦艦4隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻の警戒部隊からなる、山本率いる主力部隊、そして、金剛、比叡の戦艦2隻、瑞鳳の空母1隻、水母1隻、重巡8隻、軽巡2隻、駆逐艦21隻、輸送艦12隻の攻略部隊が続くという、戦艦重視の聯合艦隊の編隊や、龍驤、隼鷹の空母2隻を中心とした部隊をアリューシャン方面に向かわせるという陽動作戦も挙げられる。しかし、指揮官の山本は軍法会議にかけられることなく、その後もその地位に留まった。主力の空母加賀、赤城、蒼龍が次々と攻撃され炎上、との電文を通信長が持ってきても、「ホウ、またやられたか」というだけで、将棋を指し続けた。

「勝負」は勝つときも負けるときもあるのである。孫子はそのへんがよく分かっていたので、戦は出来るだけ避けて戦わずして勝つことが一番だと喝破していた。賭博なら負けたらお金をなくすだけだが、戦争は人の命がかかっている。

2009年4月17日金曜日

隠居波平釣り日誌: 洗濯された頭々

これ、ほんとにそうだと思う:
隠居波平釣り日誌: 洗濯された頭々: "国家権力ってのは恐ろしいね、国民を生かすも殺すも、時の権力(政権)のなすがまま、

洗脳って言葉がありましたね、
政権の座にあるものが一番苦労するのが、自国民の洗脳でしょうね、
国の民草(たみくさ・古い言い方ですね)は、政権の座にあるものの私利私欲に満ちた悪だくみを “知らぬが仏”で、安穏に(?)日々を過ごします、
すべて将軍様のおかげです、総理大臣のお人柄、大統領のご指導のたまもの…、自民党万歳、"

おかげで「一億総ウヨ」現象。NHKなんか、すごく旨いことお上の宣伝の垂れ流しをしている。「ニッポン、ニッポン、ニッポンポン」の連呼。ナショナリズムも結構だが、それがイナカ既得権集団への利益誘導に使われているのが問題。民放もそれに同調してイナカ翼賛報道に尻馬。ちょっと異常。

ニッポンは、ほんまにこれでいいのかね〜。

文化的にはニッポン文化のイナカ化が進み、政治的にはこれで安定するのだろうが、国際競争力は確実に下がる。ニッポンは落ち目まっしぐら。

4/17 Today 徳川家康が死ぬ(1616)

德川家康 - Wikipedia: "時代 戦国時代から江戸時代前期

生誕  天文11年12月26日(1543年1月31日)
死没  元和2年4月17日(1616年5月22日)
享年 75(満73歳没)"


天ぷらを食って消化不良で死んでしまったというのはどうもウソだったらしい。

2009年4月16日木曜日

釣り隠居の「ポートフォリオ」

偶然読んだ釣りブログだが、実にいい人生哲学が披露されていた。おいらも同感:
隠居波平釣り日誌: ポートフォリオ: "要は、要は、過去も未来も、今を外しては見るべきものはナァ~ンもない、
過去だ、未来だって、言うからさもそれらは現実に実在するような気がするが、そんなものは今を見つめることを度外視しては存在し得ない、

わたし、昨日マイボートで播磨灘へ魚釣りに出た、

わたし、年金生活者です、正真正銘わたしは年金で暮らしております、カツカツの生活であります、で、皆が不思議がる、
「年金生活者でプレジャーボート持っていて魚釣りするなんて、出来るはずが無い、ウソやろ…」と、

でも、ウソじゃないです、
答えは、、“ポートフォリオ”です、

わたしの場合はなんとか保身し得ています、
が、予定より長生きしたりしたら、もう、破綻です、
この意味で、昨年来の経済危機は、わたしの生き得る時間〔年月〕を、応分に縮める結果となっております、
わたし、その時期が来たら、沖へ出て、船底に大穴を開け、彼岸へ上陸の覚悟であります、"


そう、年寄りはすべからく「現在」に生きるべし。先のことなんか、結局なにも分からないのだから。

証券会社の売り込みセールスなんかはいっさい無視するべし。所詮「とらぬタヌキ」。今ある現金こそが、すべての基準だ。

4/16 Today チャップリンが生まれる(1889)

チャールズ・チャップリン - Wikipedia: "チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin, Jr.、1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサーである。映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。愛称は“チャーリー”。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易である。また、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。"

今年はチャップリン生誕120周年にあたる。

「モダンタイムズ」のエンディング部分(↓)。何度見ても感動的である:


2009年4月15日水曜日

4/15 Today レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれる(1452)

レオナルド・ダ・ヴィンチ - Wikipedia: "レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,本名Leonardo di ser Piero da Vinci 1452年4月15日 - 1519年5月2日) はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られる。「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。
絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。"
ダヴィンチに限らず、昔の人はなんでも出来た人が多い。「専門性」とやらがもてはやされるようになったのは、ごく最近のことだ。何故か?。

現代科学はとても進歩したので深く極めるためには「間口」を狭くしなければならないのだそうだが、果たしてどうかな。

仕事を細かく分けることによって一人一人の「身分」を保証するためではないか。役所の細かい職務分担制度とか資格制度とか職能別組合なんかは全部そう。「新規参入規制」の制度として機能しているのだ。組織構成員はそうやっている限り競争から隔離されるので、いい加減でも「要らない人」になることはないというもの。

最近は「ニッポン人」であるということも一種の「資格」らしい。日本に十数年暮らしてきた可哀想なフィリッピン人家族も両親は強制送還されて親子バラバラに暮らさなければいけなくなった。

ニッポン・ウヨは新規参入者と競争をするのがいやなのだ。

2009年4月11日土曜日

4/11 Today ジャック・プレヴェールが死ぬ(1977)

ジャック・プレヴェール - Wikipedia: "ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert、1900年2月4日 - 1977年4月11日)は、フランスの民衆詩人、映画作家、童話作家。シャンソン『枯葉』の詞や、映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書いた。

プレヴェールの詩にジョゼフ・コズマが曲を付けたシャンソンには、枯葉、バルバラのほか、次などがある。

美しい星へ(A la belle étoile)/二匹の蝸牛葬式に出かける(Deux escargots s'en vont à l'enterrement.....)/ 鯨釣り(La pêche à la baleine)/朝の食事(Déjeuner du matin)/庭(Le jardin)/夜のパリ(Paris at night)/愛し合う子どもたち(Les enfants qui s'aiment)/魔性 驚異(Démons et merveilles)/看守の歌(Chanson du Geôlier)/書取り(Page d'écriture)/子どものための歌、冬(Chanson pour les enfants l'hiver)/校門を出たら(En sortant de l'école)/外国の祭(Fête foraine)/血だらけの唄(Chanson dans le sang)/目録(Inventaire)/鳥の絵を描くために(Pour faire le portrait d'un oiseau)/五月の歌(Chanson Du Mois De Mai)/昼も夜も(Le Jour Et La Nuit)/パテル・ノステル(Pater Noster)/歌(Chanson)/手回しオルガン(L'orgue de barbarie)/劣等生(Le cancre)/祭(La fête)/演奏会は失敗だった(Le concert n'a pas été réussi)/はがねの娘(Fille d'acier)/いい朝(Un beau matin)/寓話(Fable)/心配の鳥(Les oiseaux du souci)/鳥刺しの唄(Chanson de l'oiseleur)/そして祭は続く(Et la fête continue)Presque(殆ど)/絶望がベンチに座っている(Le désespoir est assis sur un banc)/Cet amour(この愛)/割れた鏡(Le miroir brisé)/ひまわり(Tournesol)/Les bruits de la nuit(夜の音)/主顕節(Epiphanie)/大きな赤い(Immense et rouge)/ノックしている(On frappe)/子供狩り(Chasse à l'enfant)/美しい季節(La belle saison)/私はわたしよ(Je suis comme je suis)/庭(Le jardin)"
今はもうこういうスタイルのシャンソンを聴く人が少なくなってしまったのは悲しい。

「鯨釣り(La pêche à la baleine)は好きだった歌。YouTube に傑作な動画が。これ面白い:



歌詞をご参考まで:
La pêche à la baleine

À la pêche à la baleine, à la pêche à la baleine,
Disait le père d'une voix courroucée
À son fils Prosper, sous l'armoire allongé,
À la pêche à la baleine, à la pêche à la baleine,
Tu ne veux pas aller,
Et pourquoi donc?
Et pourquoi donc que j'irais pêcher une bête
Qui ne m'a rien fait, papa,
Va la pêpé, va la pêcher toi-même,
Puisque ça te plaît,
J'aime mieux rester à la maison avec ma pauvre mère
Et le cousin Gaston.
Alors dans sa baleinière le père tout seul s'en est allé
Sur la mer démontée...


Voilà le père sur la mer,
Voilà le fils à la maison,
Voilà la baleine en colère,
Et voilà le cousin Gaston qui renverse la soupière,
La soupière au bouillon.


La mer était mauvaise,
La soupe était bonne.
Et voilà sur sa chaise Prosper qui se désole :
À la pêche à la baleine, je ne suis pas allé,
Et pourquoi donc que j'y ai pas été?
Peut-être qu'on l'aurait attrapée,
Alors j'aurais pu en manger.
Mais voilà la porte qui s'ouvre, et ruisselant d'eau
Le père apparaît hors d'haleine,
Tenant la baleine sur son dos.
Il jette l'animal sur la table,


une belle baleine aux yeux bleus,


Une bête comme on en voit peu,
Et dit d'une voix lamentable :
Dépêchez-vous de la dépecer,
J'ai faim, j'ai soif, je veux manger.
Mais voilà Prosper qui se lève,
Regardant son père dans le blanc des yeux,
Dans le blanc des yeux bleus de son père,
Bleus comme ceux de la baleine aux yeux bleus :
Et pourquoi donc je dépècerais une pauvre bête qui m'a rien fait?
Tant pis, j'abandonne ma part.




Puis il jette le couteau par terre,
Mais la baleine s'en empare, et se précipitant sur le père
Elle le transperce de père en part.






Ah, ah, dit le cousin Gaston,
On me rappelle la chasse, la chasse aux papillons.
Et voilà
Voilà Prosper qui prépare les faire-part,
La mère qui prend le deuil de son pauvre mari
Et la baleine, la larme à l'oeil contemplant le foyer détruit.
Soudain elle s'écrie :
Et pourquoi donc j'ai tué ce pauvre imbécile,
Maintenant les autres vont me pourchasser en moto-godille
Et puis ils vont exterminer toute ma petite famille.
Alors éclatant d'un rire inquiétant,
Elle se dirige vers la porte et dit
À la veuve en passant :
Madame, si quelqu'un vient me demander,
Soyez aimable et répondez :
La baleine est sortie,
Asseyez-vous,
Attendez là,
Dans une quinzaine d'années, sans doute elle reviendra...


Jacques Prévert

2009年4月10日金曜日

4/10 Today 色川武大が死んでしまった日(1989)

色川武大 - Wikipedia: "色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年(昭和4年)3月28日 - 1989年(平成元年)4月10日)は、小説家、エッセイスト、雀士である。東京都新宿区出身。なお筆名は色川 武大(いろかわ ぶだい)。その他阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子がある。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。

牛込(現新宿区)矢来町生まれ。父親は40代の若さで退役した海軍大佐であって、色川は、父が44歳にして初めてうまれた長男であった。父は何も仕事をせず、常に自宅におり、家族は恩給で生活していた。また、子どもをしかる時は鞭をつかい、98歳の長命を保った。この父親との関係は、色川文学の大きなテーマの一つとなっている。"
合掌。

父親は鶴のように痩身で粗食で長寿。色川武大は食い意地が張っていて肥満体で短命。DNAは同じでも武大には敗戦後の貿易禁止で食糧輸入が出来なかった頃の飢餓体験があるからつい食べ過ぎてしまったのだ。奥さんのために無理して東北に家を造ったのも祟った。

国単位の「地産地消」を強制すれば、農民は大儲けできるが、都市住民は餓える。

2009年4月9日木曜日

日経十字路での島根大学名誉教授保母武彦氏の迷言

開き直りもここまで来れば噴飯ものでは済まなくなる。これまで一貫してイナカへのお金のばらまきを正当化する理屈を展開してきた島根大学名誉教授の保母武彦氏はこんな妄言(↓次ページ)を恥ずかしげもなく世界に披露している。

妄言とは:
  1. 国土交通省は費用対効果比という物差しで利用者がいない国道の建設を凍結した。何れもが地方の道路。トンでもないことである。
  2. 自動車交通量で測られるのでは地方は断然不利になる。
  3. イナカにではクルマが通らなくてもまさかの時の人命救護に道路は必要だ。
  4. むしろ都会では地球環境を考えて二酸化炭素の削減が必要で、道路は作るべきじゃない。
  5. 交通量だけで判断されたら地方は勝負にならない。
  6. 地方は公共施設の必要性は自分で決める。

まあ、自分のお金で勝手にやって下さい。そのために地方に財源を移譲するのは大いに賛成。

地方は地元の業者を食わせるために教育費なんかを削って道路建設費を捻出することになるのだろうが、それもまた大いに結構。とにかく中央のお金(納税者のお金)を当てにする乞食根性だけは捨てていただきたい。

2009年4月8日水曜日

経済対策は「いいことばかりだが、おカネがかかる」(細田幹事長)

族議員たちは、ここぞとばかりにバラマキを求めて狂奔している:
NHKニュース 経済対策 15兆円規模で調整: "自民・公明両党は、新たな経済対策の取りまとめを目指して断続的に会談を重ねており、8日午後9時から幹事長や政務調査会長らによる協議を再開しました。これまでの調整で、今年度の補正予算案を含めた新たな経済対策全体の規模は15兆円程度の財政出動とする方向となっています。"
それに対する細田幹事長のコメント(NHK)。結構なことだが「カネ」がかかると。現役世代は借金でいいカッコウをすればいいのだが、負担するのはわれわれの子孫である。

特に「エコ」を口実にお金のばらまきが目立つ。ところがスペインなどの欧米諸国は太陽光パネルへの助成金を打ち切ったという。世界大恐慌が進展する中、とてもそんな余裕はないのである。イギリスではエコ自然食品が全く売れなくなっている。同じくそんな余裕はないのである。

ニッポンではエコが大ブーム。エコが既得権益の利権の種になっているからであるが、国民の現実感覚のなさも影響している。究極のエコは経済収縮である以上、エコでは経済は活性化しない。

なんで石垣島の市長が日本の国際関係を振り回せるのだ!

アホ丸出しの威嚇行動:
asahi.com(朝日新聞社):沖縄・石垣市が尖閣上陸申請 希少動植物調査など目的 - 社会: "河村官房長官は8日の記者会見で、沖縄県石垣市から尖閣諸島への上陸許可を求める書簡が3日、中曽根外相あてに届いたことを明らかにした。石垣市によると、固定資産の実地調査や希少動植物の調査などを目的としており、先月31日に発送したという。河村長官はこれについて「関係省庁と連携して対応を検討している」と述べた。"
こういう日本の国益を無視するアホウヨ連中が跋扈しているイナカに都市住民の税金を回すな!

だいたい誰のおかげで食えていると思っているのか。日本経済がなんとか頑張っているから石垣島の住民もかつての悲惨な状態から救われている。その恩を忘れての自分の屈折した「ウヨ感情」だけで日本をトラブルに追い込もうとしている。この市長がしようとしていることは、日本の国益に反する。

自分だけのマスターベーションなら「離島」で一人でやれ!

4/8 Today ミロのヴィーナスが発見される(1820)

ミロのヴィーナス - Wikipedia: "ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス(Yorgos)によって、オスマントルコ統治下のエーゲ海のミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見付からぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。

後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後に、ルイ18世に献上された。ルイ18世は、これをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。

以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年の日本・京都での特別展示のみである。"


1964年の京都での展示は見に行ったが、押し合いへし合いの満員電車の中にいるようなもので、ヴィーナスどころじゃなかった。最近は展覧会なんかにはあまり出かけない。高画質のテレビで見る方が楽しめる。これこそデジタル技術の社会的貢献である。

2009年4月7日火曜日

NHKクローズアップ現代:「“派遣切り”農業をめざす」

あらら。例によって例の如きアホ番組:
NHK 番組表: "深刻な雇用不安の中、失業者の受け皿として注目されている農業。しかし期待通りには雇用が進んでいないのが実情だ。農業での雇用のミスマッチの現状と課題を追う。"
なんで問題の本質を語らないのだ。

ニッポンの農業の根本問題は「農業従事者数」が多すぎることにある。狭い農地が細分化され、それぞれに地権者がいて、田畑で働く人間が多すぎるのだ。非生産的な仕事をしていても政治的にかれらの生活は保障されているから(リストラ一切無し)、矮小農地で生産された農産物価格は限りなく天文学的なものとなってしまう。これでは輸入品には太刀打ちできない。だから一層どんどんダメになり耕作放棄地が広がる(それでもお金がもらえる)。食料自給率は下がるばかりなのである。

それなのに政府は農業へ失業者を送り込もうとする不可解なキャンペーンを広げている。でも、みんな三日で辞めるという。当たり前だ。月給はわずか16万円。これは搾取以外の何ものでもない。地元では派遣切り社員なんかは作男か農奴として捉えられているからたくさん払う気なんか、ははなからない。頑張れば農業経営者になれるというが地主に地代を払った上でのこと。儲かるのは地主だけ。はやいこと辞めてよかったねとしかいいようがない。

金子勝は「理念を持った損得抜きの人」が農業に入るべきだという。「搾取願望」まるだし。アホか。農村地主にとっては都合のいい労働力だろうが、理念ばかりで腹がふくれるか!

ヨーロッパでは中世以来何度となく「エンクロージャー(農地の集約化、大規模化)」が進んだ。そのおかげで昔は矮小農地に分割されていた欧州農業も今や大規模化・省力化されて世界に冠たるもの。ところがわがニッポンではエンクロージャーが全く進まなかった。戦後はむしろ逆行してしまった。だから農地は極端に細分化されたままで、生産性が極端に悪い。日本の農業従事者数比率は国際的に見て異常に多いのだ。そこに過剰労働者を送り込もうとするのは「愚」以外の何ものでもない。

今度自民党はニッポンの農業のために一兆円のバラマキするという。全部(諸悪の根源であるところの)金持ち農村地主の間で山分けされるのは目に見えている。これじゃダメだ。

2009年4月6日月曜日

4/6 Today 大田南畝(蜀山人)が死ぬ(1823)

大田南畝 - Wikipedia: "大田 南畝(おおた なんぼ、寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日))は天明期を代表する文人・狂歌師。漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。
名は覃(ふかし)。通称、直次郎、七左衛門。別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園。狂名、四方赤良。また狂詩には寝惚先生と称した。"


狂歌の引用を二三:
大田南畝 - Wikiquote:

"世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどふぞ敵にめぐりあいたい

わが禁酒破れ衣となりにけりさしてもらおうついでもらおう

をやまんとすれども雨の足しげく又もふみこむ恋のぬかるみ

ものゝふも臆病風やたちぬらん大つごもりのかけとりの聲"

国会図書館が大田南畝などの自筆原稿を公開している:
見聞の記録 | 第二部 集う ~知の交流~ | 国立国会図書館開館60周年記念貴重書展 学ぶ・集う・楽しむ: "江戸時代後期の人びとは、見聞したことを実によく記録しており、大部の随筆、雑記やスクラップブックのようなものが多数残されている。さらに、奇事異聞や器物を披露しあう会合も開かれていた。ここでは、そうした活動の一端を示す。"

絵もなかなか上手い。昔の人はみなそうだった。

2009年4月5日日曜日

NHK「新日曜美術館」がおしまいになった!

NHK 番組表: "日曜美術館が変わります! 新司会者は、姜尚中さんと中條誠子アナウンサーのコンビ。美術への感動、そしてその無限の可能性を見つめる。第1回は、曾我蕭白 X 村上隆。江戸時代、破壊的な絵を描き続けた絵師・曾我蕭白を心の支えにしてきた希代のアーティスト村上隆が、縦横無尽に語り尽くす。蕭白のめまいがするような奇怪で異様な作品が続々登場。蕭白の真実に迫る。"
名前も「新」がとれて、単なる「日曜美術館」に。

やや理屈っぽくなった感じ。お勉強にはこっちの方がいいのかも知れない。

4/5 Today ダントンの処刑(1794)

ジョルジュ・ダントン - Wikipedia: "ジョルジュ・ジャック・ダントン(フランス語:Georges Jacques Danton, 1759年10月26日 - 1794年4月5日)は、フランス革命時期の政治家・弁護士。人間味あふれる革命家として知られる。

1794年4月にロベスピエールは収賄の容疑でダントン及びカミーユ・デムーランらダントン派を逮捕した。ダントンは裁判で持ち前の雄弁をふるい、判事も無罪に傾きかけたが、弁論を妨害されるなどの圧力がかかり、結局死刑の判決を受けた。断頭台への道すがらロベスピエールの家の前を通りかかると「ロベスピエール、次は君の番だ」と叫び、最後まで堂々とした態度で処刑された。34歳だった。"


ワイダ監督の映画「ダントン」は面白かった。ドパルデューが渾身の演技:
映画 ダントン - allcinema: "今や大仏の風格のドパルデューだが、この映画辺りから体重も増し、フランス革命の行動面の立役者だったジョルジュ・ジャック・ダントンをどっしり構えて演じている。映画の焦点は革命成功後、政権の主要な立場についた彼と、ジャコバン党の同志ロベスピエールの確執にある。政治姿勢のズレから、ジリジリと憎悪を燃やしていく二人の姿を、ワイダは冷徹に描いている。どちらが先になるとも、結局は、同じ断頭台の露と消える二人……。王政を倒してなお、揺れ続ける18世紀末のフランスに、政治の必要と虚しさを問う力作ではある。"

2009年4月4日土曜日

4/4 Today 杉村春子が死ぬ(1997)

杉村春子 - Wikipedia: "杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年1月6日 - 1997年4月4日)は、広島県広島市出身の日本の新劇女優。本名は石山 春子(いしやま はるこ)。旧姓は中野(なかの)であり、杉村は芸名である。築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、文化史に大きな足跡を残した文字通りのカリスマ女優。称号は東京都名誉都民。"


合掌。

2009年4月3日金曜日

4/3 Today 十七条憲法の発布(604)

本邦最初の憲法が出来た日:
十七条憲法 - Wikipedia: "十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とは、『日本書紀』、『先代旧事本紀』に推古天皇12年(604年)4月3日に「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されている17条からなる条文である。この皇太子は「廄戶豐聰爾皇子」(聖徳太子)を指している。憲法十七条、十七条の憲法とも言う。"


全文は:
夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)作る。
一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たふと)しと為し(なし)、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、(略)
二に曰く、篤(あつ)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)
四に曰く、群臣百寮、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(みず)から治まる。
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)
十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂()することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)

– 『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年

「八」が面白い。官僚は早朝出勤と残業をやるべしと書いてある。当時は残業手当なんかなかっただろうし、聖徳太子はサービス残業を強制したわけ。もっともこの規定は時間を長く仕事しろというだけでその仕事の質(効率性)については書いていない。これ以来ニッポンの公務員はだらだらとながなが仕事をするようになった。

2009年4月2日木曜日

4/2 Today フォークランド戦争勃発(1982)

フォークランド紛争 - Wikipedia: "フォークランド紛争(フォークランドふんそう、西:Guerra de las Malvinas、英:Falklands Conflict/Crisis)とは、イギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名: マルビーナス諸島)の領有を巡り、イギリスとアルゼンチン間で3ヶ月にわたって行われた紛争である。民衆の不満をそらすためにガルチェリ政権が問題をクローズアップさせたことで、アルゼンチンではフォークランド諸島問題が過熱ぎみになり、民衆の間では政府がやらないなら義勇軍を組織してフォークランド諸島を奪還しようという動きにまで発展した。1982年4月2日にアルゼンチンの陸軍4000名がフォークランド諸島に上陸、同島を制圧したことで武力紛争化した。"
ダメな政府は、常に国民のナショナリズムを煽ることで、己のいい加減さをカモフラージュしようとする。

それにしてもあの「戦争」の実況中継は面白かった。ハイテク兵器を使う戦いでは両国互角だったが、英軍が島に上陸して歩兵の白兵戦となるとアルゼンチン軍は総崩れ。民主主義国家の歩兵は全体主義国家の歩兵より強いのである。

2009年4月1日水曜日

4/1 Today 西東三鬼が死ぬ(1962)

西東三鬼 - Wikipedia: "西東三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は日本の俳人。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。"

こういう俳句を詠んだエライ人:
おそるべき君等の乳房夏来る

この句の解説については次のページが参考になる。

おそるべき 君等の乳房の 夏来る - Yahoo!知恵袋: "薄着の季節。この句は、なんといっても乳房を「おそるべき」ととらえたところが斬新だ。もとよりいうところの「巨乳」をさしているのではなく、「君等の」とあるように、すべての女性の乳房に、作者は圧倒されている。このとき「おそるべき」は「恐るべき」であり、同時に「畏るべき」でもあるだろう。女性と母性の象徴としての乳房。夏はいつも、そのように崇高な生命力を掲げてやってくる。気力充実した、肉太の一筆書きを思わせる生命賛歌だ。ただ、ちょっと気がかりなのは、女性はこの句をどんなふうに読むのかという点だ。案外、感応しない人が多いかもしれない。しょせんは男にしかわからない句なのかもしれない。"


いよいよ夏が近づいてきましたね。